気配を感じた日々
気配を感じる出来事
見えないはずなのに、ふとした瞬間に、
「いる」と感じることがある。
それは、説明のつかないことばかりで、
人によっては、気のせいだと笑うかもしれない。
それでも私は、
その感覚を、大切にしていたいと思っている。
これは、
日常の中でふと触れた、小さな気配の記録。
*
「偶然とは思えなくなった日々(出来事)」→別記事 リンク
「気配を感じた日々(感覚)」→この記事
赤ちゃん/まだ言葉にならない世界で
長女が生まれて間もないころのこと。
生後2ヶ月くらいから、
ふと一点を見つめて、じっとしていることがあった。
まだ視力もはっきりしていないはずなのに、
まるでそこに何かがあるみたいに、
動かずに見つめている。
そして、生後半年を過ぎたころから、
その様子が少し変わっていった。
誰もいない壁や天井に向かって、
急にキャッキャと声をあげて笑いながら、
手足をバタバタさせて大興奮している。
まるで、誰かと遊んでいるみたいに。
赤ちゃんには見える、
そんな話を聞いたことがあった。
実際、長女には見えていると、
そう言われたこともあった。
だからあのとき私は、
「やっぱり見えてるのかな」と思いながら、
その様子を見守っていた。
1歳を過ぎたころには、
誰もいない空間に向かって手を振ったり、
何かを指さして「あー、あー」
いるんだね。
そう思うと、不思議と怖さはなくて、
ただ、あたたかい気持ちになった。
見えなくても、
ちゃんとそばにいる。
長女が、
それを教えてくれている気がした。
おもちゃ/ふいに鳴ったあの音
3兄妹が大好きだったおもちゃがある。
長男も、次男も、
よく遊んでいた思い出のつまったおもちゃ。
長女も気に入って遊ぶようになって、
これからまたたくさん遊ぶんだろうなと思っていた矢先、
そのおもちゃが壊れてしまった。
音が鳴らなくなって、
動かなくなって。
もう使えないね、と話していた。
それなのに、ある日、
誰も触れていないのに、
ふいにそのおもちゃが音を鳴らした。
一瞬だったけれど、
確かに鳴った。
その場にいた家族みんなが、
同時に顔を見合わせた。
「あ、いま来てくれたんだね」って。
見えなくても、
こうして存在を知らせてくれる。
そんなふうに感じられた、
あたたかい一瞬だった。
遺影/あのとき見えた笑顔
朝ごはんの時間、
長男が長女に「あーん」とごはんを食べさせていた。
その光景があまりにも微笑ましくて、
私は思わず動画を回していた。
たまたま、その画角の中に、
しーくんの遺影も入っていた。
あとから見返したとき、ふと、違和感を感じた。
いつもと同じ写真のはずなのに、
そのときだけ、
“にこっ”と微笑んでいるように見えた。
もともと笑っている写真なのに、
それとは少し違う、やわらかい表情。
兄と妹が仲良くしている様子を見て、
嬉しかったんじゃないかなと思った。
そんなふうに思えたことが、
ただ、あたたかかった。
夢/会いにきてくれた日
ある朝、長男が
「しーくん、夢に出てきたよ」と教えてくれた。
実はそのとき、私はこっそり、
しーくんにお願いしていた。
長男がずっと「会いたい」って言っていたから、
夢でもいいから会わせてあげてほしいって。
夢の内容は、
「人魚の夢だった」と話してくれた。
そして、最後の方に、
しーくんが出てきたらしい。
「何言ってるかわからなかったけどね」
そう笑いながら話してくれたあと、
ぽつりとこう言った。
「顔が、みーちゃんにそっくりだった」
その言葉を聞いたとき、胸がぎゅっとなった。
今のしーくんは、
あの頃のままじゃなくて、
ちゃんと時間を重ねているのかもしれない。
夢の話の最後に、長男は
「しーくん、出てきてくれてありがとう」
とつぶやいていた。
夢なのかもしれない。
でも、ちゃんと会いにきてくれた気がした。
忍野八海/光が近づいてきた日
富士山を見に行った旅行で、
忍野八海という場所を訪れた。
澄んだ水が流れる、静かで神秘的な場所だった。
長男が夢中になって、魚にえさをあげて笑っていたとき、
動画を撮っていた。
そのあと、何気なく見返してみたら、
そこに、不思議な光が映っていた。
ゆらゆらと揺れながら、
まるで意思があるみたいに、
長男のほうへ近づいていく。
写真ではなく、動画で。
こういう光を見たのは、初めてだった。
「あ、一緒に来てるんだ」
見えなくても、同じ景色を見て、
同じ時間を過ごしている。
そんなふうに感じられた、
忘れられない時間だった。
同じ境遇の人/出会う運命だった人
ある日、投稿にひとつのコメントが届いた。
「私も、次男の命日に妹が生まれました」
一瞬、言葉が止まった。
あまりにも同じで、偶然とは思えなかった。
話を聞くと、その方は、
次男さんを亡くしてから15年以上経っている方だった。
ちょうどその日、グリーフケアの場に参加していて、
そこでこんな話を聞いたばかりだったという。
「こういう場所で出会うのも、
お空で子どもたち同士が出会っているからなんですよ」
その帰り道、ふとInstagramを開いて、
私の投稿に出会った、と。
その話を聞いたとき、自然と、こう思った。
あぁ、今回も、つながってるんだなって。
これまでも、同じ境遇の方との出会いのたびに、
そう感じることがあった。
でもこの出会いは、少しだけ違っていた。
その方と話しているうちに、
ふっと、肩の力が抜けた。
私はどこかで、
「誰かを支えなきゃ」と思っていたのかもしれない。
そのとき、支えられてもいいんだと思えた。
そのとき、しーくんがそっと、
「ママ、大丈夫だよ」って言ってくれた気がした。
出会う運命だった人に、出会えた。
そんなふうに思える出来事だった。
気配を信じてみる
ここに書いたことは、どれも、
偶然といえば偶然なのかもしれない。
でも私は、
そのひとつひとつを、
大切に受け取って生きていきたいと思っている。
見えなくても、感じることはできる。
これまでの出来事を振り返ってみると、
しーくんは、いろんな形でそばに来てくれているのかもしれない。
赤ちゃんの中では「見える存在」として。
おもちゃの音では「触れる存在」として。
遺影の中では「見守る存在」として。
夢の中では「会いに来る存在」として。
光の中では「一緒にいる存在」として。
そして、人との出会いの中では「つなげる存在」として。
そんなふうに思えるだけで、日常は、少しやさしくなる。
今日もまた、気づかないだけで、
すぐそばにいるのかもしれない。
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