偶然とは思えない出来事

次男を亡くしてから、

偶然とは思えない出来事が、何度も起きている。

それはきっと、人によっては

ただの偶然と呼ぶものなのかもしれない。

それでも私たちは、そのひとつひとつに、

意味を感じながら生きている。

これは、そんな日々の中で出会った、

いくつかの出来事の記録。

「偶然とは思えなくなった日々(出来事)」→この記事
「気配を感じた日々(感覚)」→別記事 リンク

次男の命日に、妹が生まれた

次男が亡くなったその日に、長女が生まれた。

その出来事を、偶然と呼ぶこともできるのかもしれない。

でも私たち家族は、そうは思えなかった。

見えなくても、そばにいる。

そう信じたい気持ちが、

この日を境に、確信に変わった。

生まれ変わりだね、と言われることもある。

でも、家族にはわかる。

次男は次男で、ちゃんとここにいて、

妹を連れてきてくれたのだと。

自分の命日を、悲しむ日ではなく、

新しい命を祝う日に変えてくれたこと。

きっと、家族に笑っていてほしかったから。

弟想いの長男が、

妹を迎えて、また笑っている。

その光景を、どこかで見守っている気がする。

この出来事を、奇跡と呼ぶのか、偶然と呼ぶのかはわからない。

それでも私たちは、

ここにあるつながりを信じている。

姿が見えなくても、

家族は、ちゃんと5人。

 

四十九日の空に、声が届いた

四十九日の日、

家族でベランダに出て、空を見上げた。

まだ小さかった長男を抱っこしながら、

3人で、名前を呼んだ。

「せーの、しーくーん」

その瞬間、

曇っていた空の隙間から、すっと光が差し込んだ。

さっきまでの空が、嘘みたいに明るくなる。

「すごいね…!」と、夫が言った。

私は、言葉にならなかった。

ただ、涙があふれて、

空を見上げることしかできなかった。

たまたまかもしれない。

それでも、あのとき確かに、

「届いた」と思った。

呼べば、応えてくれる。

そう感じたあの日の空を、今も忘れない。

 

命日に訪れた、花屋での出会い

命日の日、花を買いに行った。

次男のイメージの黄色とオレンジで、

明るい花束をお願いした。

「用途は?」と聞かれて、

「息子の命日です」と答えた。

すると店員さんが、少しだけうつむいて、

静かに言った。

「実は私も、2歳の子どもを亡くしたんです」

「もう50年も前のことだけど、

一日も忘れたことはないです」

その言葉を聞いたとき、

不思議と、心が軽くなった。

忘れなくていいんだ、と思った。

この先もずっと、

この想いを抱えていていいんだと、

そう思えた。

偶然立ち寄っただけの花屋だった。

でもあの日の私は、

あの言葉に出会うために

そこへ行った気がしている。

 

偶然を信じてみる

ここに書いたことは、

すべて偶然なのかもしれない。

でも私は、その偶然を、信じてみたいと思っている。

もし、大切な人が、見えなくてもそばにいられるのだとしたら。

きっと、いろんな形で、

「ここにいるよ」と伝えようとするはずだから。

だから今日も、

起きた出来事に、そっと意味を見つけて、

「ありがとう」と伝えている。

姿が見えなくても、

つながりは、きっと消えない。

 

「気配を感じた日々(感覚)」→別記事 リンク