子育て

17年のキャリアを手放し退職。ママの価値観が変わった10年と、これから歩む第二の人生。

未来の長男、長女、天国の次男しーくんへ

17年勤めた時計会社を2月末で退職の一大決心

パパも、いっくんも、しーくんも、みーちゃんも。みんなが、ママの仕事人生に大きな影響を与えてくれたんだ。

仕事一筋だったママだけど、これまでの人生の中で何度も価値観が揺さぶられる出来事があって、今回、新卒から17年勤めた時計会社を退職。第2の人生を歩む決断をしました。

その「価値観が変わった10年」の話をするね。

価値観が変わった10年

2015年、29歳でパパと結婚。

ドバイへの新婚旅行中も、携帯で仕事のメールを返してたくらい、仕事が毎日に染み付いてた。

ママがその会社に入りたいと思ったきっかけはね、就職活動中に出会った一人の社員の方だったんだ。

その方は弱視で、目があまり見えない方だったんだけど、「こんな自分でも、一人の人間としてちゃんと見てくれたのがこの会社だった」って話してくれてね。

その言葉を聞いたときに、「なんてあたたかい会社なんだろう」って、すごく心が動いたの。

もともとママは、形に残るものづくりに関わりたいって思っていて、メーカーを志望していたんだ。その中でも時計は、身につける人の人生と一緒に時を刻んで、一番視線の跡がつく、ときには形見にもなるような、特別な存在だと思ってた。

当時はそこまで言葉にできてなかったけど、今振り返ると、「時間」や「人の人生に寄り添うもの」に惹かれていたんだと思う。

販促や営業を経験して、やっと希望していた商品企画に異動して。会社の看板ブランドのブランドマネージャーに任命されて、大好きな仲間に恵まれて、仕事に大きなやりがいを感じていたよ。

2016年、30歳。活躍ピークの時期

担当していたブランドの新製品が大ヒット。

記者会見やテレビ・新聞の取材、ワールドビジネスサテライトへの出演、社長賞の受賞。

仕事が一番充実していた時期。

朝はパパが起きる前、6時台に家を出て、帰宅は20時すぎ。ごはんを作って、21時に帰ってくるパパと過ごす時間は1時間ほど。

それでも、「これが当たり前」だと思って仕事に全力を注いでいたよ。

2017年、31歳。パパがくも膜下出血で生死をさまよう

46歳のパパがくも膜下出血で倒れ、生死をさまよう事態に。

意識不明のままICUにいるパパ。

あまりにも突然のことで、目の前の現実を受け止めきれなかった。

家に帰って、ひとりでご飯を食べる時間。

部屋に飾ってある、パパとママの笑顔の写真を見て、

「さっきまで隣にいたはずなのに」って、

その現実が信じられなくて、涙が止まらなかった。

それでも、「パパはこんなことで終わる人じゃない」って、

ただひたすらに、パパの生命力を信じて待ってた。

ICUでの闘病の末、奇跡的に後遺症もなく生還。

この出来事で初めて、「当たり前の日常は当たり前じゃない」と知ったよ。

それまでのママは仕事優先で、

一緒に過ごせる時間があることを、どこか当たり前だと思っていた。

でも、大切な人が突然いなくなるかもしれない現実を知って、

仕事ばかりじゃなくて、ちゃんと家族の時間を大切にしたい。

そして、子どもがほしいって、心から思うようになったんだ。

2018年、32歳。ママのガン発覚。手術。

不妊治療を始めようとしたタイミングで検査に引っかかり、子宮頸がんの手前の状態と判明。手術を受け、無事に完治。

診断を受けたとき、「まさか自分が」と受け止めきれず、泣き崩れたんだ。

もっと生きたい。

そして、ママの夢は「お母さんになること」なんだと改めて気づいたの。

2019年、33歳。長男を妊娠。

2020年、34歳。長男が誕生。

お母さんになりたかった夢が叶って、

あんなに仕事中心だったママの価値観は大きく変わったの。

「できるだけそばで、この子の成長を見ていたい」

そう思うようになったんだ。

2021年、35歳。次男妊娠。

たまたま観ていたテレビ「はじめてのおつかい」で、幼い兄弟が手をつないで頑張る姿に、

パパと一緒に感動の涙。

長男に兄弟をつくってあげたい。そう思い、2回目の不妊治療をスタート。

1回で妊娠することができたよ。

 

2022年、36歳。次男が誕生。心肺停止。

念願だった兄弟の姿を見られて、本当に幸せな毎日だった。

でも、生後半年のとき。突然、心肺停止。

さっきまで笑っていたのに。順調に育っていたのに。

現実を受け止めることができなかった。

医師からは、「もうできることはありません」と告げられ、

パパとその場で抱き合って泣き崩れた。

ママは同じ親としての立場で悲しむパパの存在がいなかったらどうなってたかわからないよ。

外に出れば、手をつないで歩く兄弟の姿が目に入って、

「本当はああなるはずだったのに」って、胸が締め付けられた。

歩きながら、あふれる涙を止められなかった。

家に帰れば、

授乳してた哺乳瓶も、遊んでいたおもちゃもそのままなのに、

次男しーくんの姿だけがない現実。

もっと成長が見たかった。

歩く姿も、しゃべる姿も、そばで見ていたかった。

一緒に見たい景色だって、まだまだたくさんあったんだよ。

ベッドに残る匂いを感じては、何度も泣いた。

長男に心配かけないように、キッチンで声をころして。

入院していた2ヶ月間、たくさんの写真を撮って、記録を残して、

精一杯のありがとうを伝えたよ。

2023年、37歳。次男天国へ。自分の使命を知る。第三子を迎える覚悟を決め、長女妊娠。

「しーくんにあいたい」当時2歳だった長男の言葉に、

もう一度お兄ちゃんにしてあげたいと強く思い、第三子を迎える覚悟を決めたんだ。

そして、亡くなって2ヶ月後。

ご縁があって、見える方を通してしーくんからこんな言葉を受け取ったの。

「ぼくはそばにいるよ」

「これからたくさんのミラクルが起きるから、楽しみにしててね」

一緒に生きていけるんだって思えたことが本当にうれしくて、

安心して、たくさん泣いた。

そしてそのとき、ママの使命も教えてもらった。

「ママの使命は、人を前向きにすること。感動を伝えること。

ママが体験したこと、どう乗り越えたかを発信して。

ぼくをそばに感じて過ごす、今の家族の姿を届けてほしい。

亡くした大切な人はそばにいて、これからも一緒に生きていけるという希望を

伝えてほしい。必ず多くの人を救うよ。」

「ブログで小説のように長文を、Instagramでブログの内容を抜粋したり、そのとき感じた想いや声を日常の記録として残してね。」

この言葉をきっかけに、

ブログを立ち上げて、家族の記録を書き始めたよ。

3回目の不妊治療で、次男の命日予定日に長女を妊娠。

2024年、38歳。長女が命日に誕生するという奇跡。

しーくんが言っていた「たくさん起きるミラクル」の1つ目から、

あまりにも大きな奇跡で、鳥肌が立った。

しーくんは、本当にそばにいるんだって、心からそう思えたよ。

長女が生後半年になって、

少しだけ育児が落ち着いた頃、

しーくんにお願いされていたInstagramの発信を始めたよ。

2025年、39歳。退職を決意

ブログとInstagramで、笑って、泣いて、気持ちに素直に、

今を大切に生きる家族の姿の発信を重ねたの。

寄り添ってくれる優しい言葉や、

「救われました」と言ってくれる声を、たくさんいただくようになって。

その中で少しずつ、気づけるようになったんだ。

悲しみをなくすんじゃなく、悲しみを抱えたままでも、今ある幸せを感じながら生きていいんだって、少しずつ思えるようになったよ。

そして、天国にいる次男をそばに感じながら前に進んでいく今の家族の姿が、もし誰かにとっての小さな希望になるのなら、これからも言葉を届けていきたいと強く思ったよ。

そして育休からの復職を前に、自分の本音と向き合い、退職を決意。

しーくんに教えてもらった使命を生きる覚悟を決めたよ。

2026年、40歳。ママの第2の人生がスタート。

 

これから歩む第二の人生

振り返ると、命と時間の尊さに気づかされる出来事がたくさんあった10年だったよ。

当たり前の日々は、当たり前じゃない。

一緒にいられる時間には限りがある。

そう気づいたからこそ、人生の中で「何を一番大切にしたいのか」を何度も考えました。

そして選んだのは、

これからは、できるだけあなたたちのそばで過ごすこと。

そしてもうひとつ。

同じように大切な人を見送った誰かに、

そっと寄り添える言葉を届けていきたい。

ママはこれから、第二の人生を歩き始めます。

そばで見ててね。

ママ、がんばるよ。